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​インドネシア支援

​INDONESIA RESCUE SUPPORT

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​はじまりはバンジャルマシンから

インドネシア・バンジャルマシン市 救急救助技術支援 (2007年~2008年)

 

2006年、JPRは兵庫県の御配慮で、ザンビアに救急車・消防車を計9台贈ることが出来ました。しかし、まだ数台の消防車両が残り、JPRの力では如何ともする事が出来ず難渋している時、兵庫県を介して消防車両を寄贈する団体をご紹介頂き、その際に「JPRの技術支援が重要であり、是非インドネシアに協力願いたい」とのご依頼がありました。この依頼により、2007年9月にJPR会長自身がインドネシアのバンジャルマシン市を先行調査することとなり、インドネシアへの支援が始まりました。そして、その2ヵ月後の2007年9月には、JPR隊員総勢6名で、本格的な調査とともに、技術支援の方法やインドネシア特有の文化の調査などを実施し、支援隊の派遣に備えました。

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​第一回目の支援 〜夢の扉〜

2007年12月11日には、インドネシア大使館を表敬訪問し、支援調査の結果とともに、2008年からの支援方法の説明を行いました。2008年2月の「第1回インドネシア技術支援」では、TBSの「夢の扉」のスタッフとタレントの小林恵美さんが同行され、その支援の様子が全国ネットで放映され、多くの方々にJPRを知っていただくことが出来ました。その後、BLS(一次救命処置)や救助法など反復訓練・研修などを実施するため、5月に「第2回インドネシア支援」(JPR隊員4名)。8月には「第3回インドネシア支援」(JPR隊員5名)と3ヶ月間隔で技術支援を行いました。そして、2008年11月JPR支援の集大成として「第4回インドネシア支援」では、JPR隊員9名が支援し、大規模災害訓練を実施しました。また、この年は「日本インドネシア友好年事業」として、外務省より友好年事業の団体登録をして頂きました。

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​スラバヤ市 先行調査

カインドネシア・スラバヤ市 救急救助技術支援(2009年)2008年のインドネシア国南カリマンタン州(バンジャルマシン市)への支援は終了し2009年は同じインドネシア国のスラバヤ市を支援することとなりました。

 

スラバヤ市への支援については、神戸国際協力交流センター(神戸市の外郭団体)からの要請に基づくもので、その依頼により2009年の2月1日から4日まで、正井代表と副代表の播磨氏の2名で調査に行くこととなりました。<インドネシア スラバヤ市先行調査>

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​支援開始

インドネシア・スラバヤ市 支援概要「第1回~第4回までの支援状況」


<第1回~第4回のスラバヤ市技術支援>

そして、2009年4月「第1回インドネシア スラバヤ市技術支援」。

 

その後、前回のバンジャルマシン市と同じように、BLSや救助技術の反復訓練、研修会などを行うため、1ヶ月から3ヶ月の間隔でスラバヤ市にJPR隊員が派遣されました。2009年7月「第2回インドネシア スラバヤ市技術支援」。2009年8月「第3回インドネシア スラバヤ市技術支援」。

 

最終の総合的支援である「第4回インドネシア スラバヤ市技術支援」では、バンジャルマシン市で行った大規模災害訓練を実施し、1年以上に及ぶ救急救助技術の支援事業を無事に終えることが出来ました。インドネシア・スラバヤ市 救急救助技術支援(2013年9月) DIG(図上訓練)2013年9月15日から19日まで、JPR理事長の正井氏、副理事長の播磨氏の2名が、インドネシアのスラバヤ市にDIG(図上訓練)の指導のため向かいました。

 

JPR副理事長の播磨氏による支援報告です。インドネシア共和国スラバヤ市DIG訓練結果報告※DIG=ディグは、参加者が地図を使って防災対策を検討する訓練です。Disaster(災害)、Imagination(想像力)、Game(ゲーム)の略

 

インドネシア・スラバヤ市 救急救助技術支援(2014年11月) 神戸市国際協力ボランティア派遣事業

2014年11月26~28日の3日間、JPR事務局の理事 秋吉貴雄氏がインドネシア(Indonesia)のスラバヤ市(Surabaya)に「救急救助技術支援」に行った際の事業報告書が送られてきました。Cambodiaで長期滞在中であったJPR理事長の正井潔氏とともに、神戸市国際協力ボランティア派遣事業として、インドネシア共和国東ジャワ州スラバヤ市の消防学校へと、指導および支援に向かった際の、詳細な支援内容が記載されています。
 

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​インドネシア再支援

当会約10年ぶりとなったインドネシア南カリマンタン州バンジャルマシン市への救急救助技術支援(再支援)。

 

4名のJPR会員が無事到着し、関係者との会議やCPRのデモンストレーションなどが実施されました。バンジャルマシン市側の都合により、当初予定していた支援内容と少し違う場面もあったようですが、JPR理事長の正井氏が、これから継続予定の支援内容について、様々な機関の代表者や関係者とディスカッションを重ねているようです。

 

また、JPR広報部の松本氏が、以前日本で研修を受けたMr.Akhdiat Yosida(アクディアット・ヨシダ氏)とともに、現地で使用されている消防車両や資器材などの調査・見学なども実施されました。

 

2017.6.25JPRの「インドネシア救急救助技術支援」インドネシア共和国の支援では、2007~2008年バンジャルマシン市に先行調査も含め計6回、2009年のスラバヤ市には計5回の短期滞在型(約一週間程度)の技術支援を行いました。その後も、単発的ではありますが支援を継続してきました。また、今年度より「救急・救助」のみならず、「消防・防災」や「医療関係」の分野においても、新たな支援事業が計画されています。

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​正井 潔からの報告

JPR2017年9月17日~23日 バンジャルマシン市 救急救助技術支援 。

 

 

JPR理事長の正井です。インドネシア国南カリマンタン州への第1回目の技術支援に9月17日から23日まで行って参りましたので、その概要をご報告します。今回の参加者は、正井、松本さん(大阪)、吉田さん(愛知)、前田さん(神奈川)の4名です。2007年と2008年の頃は、関空からジャカルタ行きの直行便がなかったのですが、最近就航したため南カリマンタン州バンジャルマシン市には当日到着できる様になりました。出発日の9月17日は、台風の接近で出発が危ぶまれましたが、幸い台風の足が遅く無事出発出来ました。17日22時20分バンジャルマシン空港に到着すると、2007年と2008年に技術支援していた時の南カリマンタン州職員でJPR担当者であったイクバルさん、バンジャルマシン市義勇消防隊のヨシダ氏、アブディ氏、当時影で応援してくれてたエマ女史など総勢20名で出迎え、バンジャルマシン市警察のパトカー先導でホテルに到着。ホテルには、11時間かけて東カリマンタン州から会いに来てくれた義勇消防隊の方もおられ、ロビーでの記念撮影が続き、部屋に入れたのは0時を過ぎていました。

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​第一声は帰ってきました!

18日は、通訳をお願いしているアメリアさんがスラバヤ空港での飛行機の出発が遅れ16時ごろホテルの到着。早速、イクバルさん、ヨシダさん、アブディさんと打ち合わせ。ヨシダさんとアブディさんによると、5月に私が訪問したあと、バンジャルマシン市にJPRが9月に訓練指導に来るので市として対応して欲しいと、何度も交渉したが予算がないとのことで動かなかったそうです。

 

そこで2人は南カリマンタン州保健部の幹部であるイクバルさんと相談、またアブディさんは親交のある2007年当時南カリマンタン州の副知事としてJPRを受け入れたロシハンさんにも相談し、元副知事として今回対応してくれることになったそうです。

 19日は、南カリマンタン州の公会堂で今回の技術支援の開会式、CPRのデモンストレーション、各機関との意見交換が行われました。
 会場には、南カリマンタン州駐屯のインドネシア陸軍、海軍の幹部、国家警察の幹部、南カリマンタン州の病院幹部などが来賓として参加。


 その他、約150名ほどのバンジャルマシン市義勇消防隊の隊員も参列していました。先ず元副知事のロシハンさんから開会宣言とスピーチがあり、「JPRが10年ぶりに南カリマンタン州を支援しようとしているこのチャンスを逃さず、今後5年、10年を見据えた体制でJPRの支援を受けたい」と述べられました。続いて、私がスピーチを行いました。第一声で「帰ってきました」と言いますと会場全体から歓声が上がりました。


 そのあと「救急、救助、消防の3部門を一緒に実施している国は、ASEANには少ない。インドネシアではジャカルタにもスラバヤにも無い初めてのシステムを作りましょう」とスピーチしました。この後、バンジャルマシン市義勇消防隊員の女性2名によるCPRデモンストレーション、JPRによるデモンストレーションを披露しました。また、意見交換では、各機関から積極的な意見交換と元副知事のロシハンさんへの要望もありました。

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​前向きな回答

20日は、各機関から選抜された80名にCPRの指導を行いました。

 


 前日は、会場を陸軍保健部となっていましたが、州がドンドン動いているのを見てバンジャルマシン市が慌てて、急遽会場をバンジャルマシン市役所に変更して欲しいとなりました。またこの20日の夜は、エマさんが紹介してくれた地元の会社経営者ソフィアンさんが、南カリマンタン州知事との面会を知事公邸で行える様調整してくれました。
 知事には、南カリマンタン州における防災体制の向上にJPRが協力する旨とそれのMOU(覚書)にいて申し入れたところ、関係部署に調整させるとのことで前向きな回答を頂きました。

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