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​設立経緯

​2005年1月17日設立

​2004年8月、正井氏はザンビアでの単独支援終了後、帰国する飛行機の中で​一人で指導するには限界があると、チームでの指導の重要性を痛感しました。

 

ザンビア側からも来年に指導に来てほしいと、関係機関から熱望され、応えるべく、発展途上国に日本の救急救助技術を支援するNGOの設立を思い立ったのです。

NGOとは

Non-governmental Organizationの略称で、日本語では非政府組織と訳されています。もともとは国連などの国際会議で、各国政府や国際機関とは異なる民間団体を指す名称として使われるようになりました。

現在は貧困や飢餓、環境などの地球規模の問題に対して、国家や民族、宗教の

​壁を越えた民間の立場から、利益を目的とせず社会的な活動を行う団体のことを指している。

日本国際救急救助技術支援会JPRの設立です。

正井氏は多くの賛同者や協力者を得ることができたため阪神・淡路大震災の10年目にあたる、2005年1月17日にJPRを設立しました。

Japan International  Paramedical Rescue Technical Cooperation Corps

​表示名:Japan Paramedical Rescue

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2004年8月、ザンビア行きを決定。


 2004年3月、五十嵐ご夫妻が一時帰国され、神戸市中央消防署で始めてお会いし高規格救急車、救助工作車などを見学後、ザンビアの救急事情の詳細を聞くうち、夏休暇を利用して現地指導を思い立ちました。

多量の救急資器材と救助資器材のほか、ワンボックス車もザンビアへ輸送。「資器材収集と寄贈」


 最初は、手荷物として持って行くつもりで神戸市の各消防署に廃棄する救急資器材の寄贈をお願いしたところ、予想以上に大量に集まりました。中には、故障している油圧の救助資機材もありました。また、私の趣旨を知った「日本船舶薬品営業本部長の小脇氏」が商品として販売できない古い資器材があるからと寄贈を申し入れて下さいました。

「ワゴン車もコンテナ輸送」


 予想以上に集まったため五十嵐氏に相談したところ、ボランティア団体「徳島で国際協力を考える会(TICO)」が輸送費を捻出し、コンテナ便で輸送して頂けることになりました。コンテナなら車1台分のスペースがあるため、以前の署で一緒に仕事をした神戸市北消防団の団員さんでマツダのディーラーを経営しておられる高山氏に「ザンビアにワゴン車を送り救急車にしたいけど、1台廃車のワゴン車を寄して欲しい」とお願いしたところ快諾、3日後には下取りしたマツダボンゴ1台寄贈して頂きました。2004年7月初旬、これらの救急資器材とワゴン車は遥かザンビア目指して船出していきました。

2004年8月ザンビア救急指導


ザンビア警察庁長官などが、空港でお出迎え。
「ザンビア到着」12日間の夏休暇を取り関西国際空港から香港、南アフリカ、ザンビアへ約24時間の一人旅に出発。ところが香港で飛行機のトラブルで2泊3日の道中となりました。ザンビアのルサカ空港にはザンビア警察庁長官、副長官や救急隊員などの出迎えを受けました。

「なぜ!ザンビア警察庁?」


 ここで、なぜザンビア警察庁が出て来るかと言いますと、救急システム構築のため五十嵐氏とザンビア人からなる救急管理委員会が、この時期にザンビア警察庁、ルサカ市消防本部の3機関が合同で救急システムを構築するためにの合意がなされたため、警察庁長官自らお出迎えとなりました。

ザンビア救急隊


ボランティア救急隊員が運営。
 救急隊は、ルサカのダウンタウンから少し離れたチャイナマにあり、SCDPという徳島のボランティア団体が経営する日本人向けの借家街の一角にあります。五十嵐氏もここに居住し、私も滞在中はここに泊めて頂きました。救急車は実質2台で活動していますが、古い日本車のワゴン車を改造しストレッチャーを載せているだけという状態でした。ボランティア救急隊員は総勢10数名しますが、大半は医学的知識のない隊員です。しかし、中には准医師学校の最終学年生の3年生も夜間の隊員として出動しているそうです。

深夜の救急出動

 

交通事故で車内閉じ込めの救助現場。五十嵐家の居間には救急隊の無線が流れており、救急隊からの活動状況が入り英語で指示を出している。
その五十嵐氏の英語が早口になった。チャチャチャというルサカの市街地で交通事故発生。五十嵐氏の指揮車で現場へ急行すると、野次馬で2台の事故車が隠れるほどの人だかり。乗用車の女性が車内閉じ込め状態で、消防隊が救出しようとするが大き目のバール程度の器具しかないため救出に1時間余りかかりました。また、救急資器材も無いため私も何も出来ない状態でした。日本では5分か10分で出来ることも救助機具の無いザンビアでは、これが当たり前とのこと。まだ救急車で搬送してもらえるだけ幸運だそうです。

関係各方面の視察


日本大使館、県警本部、消防本部などの表敬訪問しました。
   「ザンビア日本大使館表敬訪問 」

救急・救助指導


警察官、消防隊員、ボランティア救急隊員に指導。救急1日、救助機具取り扱い訓練1日の2日間の指導。警察官、消防隊員、ボランティア救急隊員が受講した。

警察庁主体・救急救助隊整備プロジェクト開始式


3つの訓練を実施。ザンビア警察庁、ルサカ市消防本部、救急管理員会の3機関合同の総合訓練。

ザンビア救急救助指導を終えて

ひとりでの指導は、限界を感じる。ルサカ空港で見送って頂いた各関係機関の皆さん。 今回は視察先が多かったこともあり、指導は3日間のみとなりました。現地では指導を熱望していいましたが、一人で指導するには限界があり、チームでの指導の重要性を痛感しました。
 また、来年も指導に来て欲しいと各機関から熱望され、これに何とか応える方法は無いものかと帰国の飛行機の中で考えあぐねました。

救急救助技術支援会設立を発想

発展途上国に救急救助技術指導するNGO設立を発想。来年もう一度ザンビア一国にだけ行くのであれば、何人かの神戸消防の仲間に声を掛ければ可能であったと思います。しかし、ザンビアのような発展途上国では適切な救助や病院前救護がなされないため人間としての尊厳を保たれてない国が多くあることを痛感しました。そこで、世界でもトップレベルの救急救助技術を有する全国の救急・救助隊員に呼びかけ、発展途上国に救急救助技術を支援するNGOの設立を思い立ちました。 横浜市消防局や大阪市消防局の救急救命士仲間に呼びかけ設立を提案したところ協力を快諾して頂きました。

日本国際救急救助支援会」設立

阪神・淡路大震災の10年目にあたる、2005年1月17日を設立日とした。
 英語名: Japan International Paramedical Rescue Technical Cooperation Corps
 表示名: Japan Paramedical Rescue :JPR
 設立に際しては、日本の救急制度にご尽力頂いている先生方にご依頼しましたところ、ご快諾頂きました。

 顧問の先生方 (五十音順)
 石井 昇 (神戸大学医学部災害・救急医学講座教授)
 鵜飼 卓 (NPO 災害人道医療支援会 理事長)(兵庫県災害医療センター顧問)
 杉山 貢 (横浜市立大学市民総合医療センター病院長)
 丸川征四郎(兵庫医科大学 救急・災害医学教授)(兵庫医科大学病院 救命救急センター部長)
 山中郁男 (高津総合中央病院長)(元 聖マリアンナ横浜西部病院長)

 なお、設立日は消防職員としては忘れることの出来ない阪神・淡路大震災の10年目の2005年1月17日を設立日としました。
 また、事務局は、丸川教授のご好意により兵庫医科大学 救急・災害医学教室内に設置して頂くことになりました。

第1回救急救助技術支援・ザンビアへチーム派遣

2005年2月、第1回目の活動でザンビアへ救急隊員3名、救助隊員3名を派遣。JPRの第1回目の技術支援として、設立前からザンビアへ
指導に行くことを意思表明して頂いていた神戸市消防局の救急隊員3名、救助隊員3名の計6名で2005年2月17日から26日の間、全日10日間の技術指導に行って参りました。

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海外支援


 JPRでは2005年の設立初年度からアフリカのザンビア・ルサカ市、スリランカのゴール市、インドネシアのスラバヤ市とバンジャルマシン市と救急救助技術や消防防災技術を支援してきました。


 また、2008年から開始されたカンボジアのプノンペン市においては、救急救助技術や消防防災技術、消防システムの構築から医療分野まで幅広く支援してきました。そして2018年、カンボジアのプノンペン市において約10年もの歳月をかけ完成されたカンボジア初の災害派遣ユニットである「RRC711部隊」。


 今では「カンボジア・日本友好防災学校」も設立され、JPRが支援した部隊の隊員達が指導者となって、新たな新人教育も開始されています。

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